青森市の概要
青森市は、北は陸奥湾に面し、南は八甲田連峰を有する豊かな自然に恵まれたまちです。古くから交通の要衝の町として、発展しており、青森市の中心にある青森駅は、本州と北海道を結ぶ東北本線、奥羽本線の終着駅です。
青森市は豪雪の町として知られていますが、このような豪雪都市で30万人近い人口を持つ都市は、世界的にみても珍しいそうです。その理由は、青森市が交通の要衝の町であることや、県庁所在地として、政治的、経済的に発展した町だからだそうです。初夏の時期は、「やませ」と呼ばれる冷涼な東風が吹き、7月でも全く気温が上がらない日もあるそうです。
地域文化として、全国的に有名な「ねぶた祭り」があります。ねぶた祭りは東北三大祭りの1つであり、日本三大火祭り、世界三大火祭りにも挙げられています。1980年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。
青森市の主な歩み
1625年寛永2年、外ヶ浜の一寒村にすぎなかった「善知鳥村」を開港したのが「青森」のはじまりでした。明治4年(1871)に、県庁が弘前から青森に移り、このときより「青森県」が誕生しました。明治6年(1873)に青函定期航路開設、明治24年(1891)には東北本線が開通し、交通の要衝として発展を遂げてきました。明治31年(1898)には市制を施行し、青森市が誕生しました。明治38年(1905)には奥羽本線青森〜福島間が開通、明治41年(1908)には青函連絡船が就航し、物流の拠点として発展してきました。
明治35年(1902)1月に、日露戦争に備えた寒地訓練の最中に、八甲田雪中行軍遭難事件が発生しました。この事件は、世界山岳遭難史上最大の199名の犠牲者を出す大惨事となってしまいました。昭和20年(1945)には、青森開港以来最大の惨事となった「青森空襲」で、多大な尊い命と青森の財産を失ってしまいました。
しかし、こうした混乱の中、新たなまちづくりのための戦災復興が始まり、特に都市計画において現在の青森市の基本的な部分がつくられました。近隣市町村の青森市への合併が進み、明治37年(1904)には、野内村の合併により、県内最大の都市となりました。そして、明治39年(1906)に青森空港が完成、明治40年(1907)には、青森〜東京間の定期便が就航するなど、県都としての機能が整備されました。
そして現在では、都市基盤の整備ばかりでなく、次世代を担う人づくりも着実に進められています。 これからの21世紀に向け「青い森、人が輝く、快適都市」の実現を目指し、「環境」・「支え合い、助け合い」・「自主、自立」をかかげ、今も青森は発展し続けています。
青森市の名前の由来
青森の名前の由来は、現在の本町5丁目、当時は米町と称していたところに、磯馴松(そなれまつ)がはえている小高い森があり、ここはいつも青々と生い茂り、漁船が帰港する時の目標になっていたようです。この森が「青森」と呼ばれるようになり、のちに「青森村」と命名したそうです。また、アイヌ語の「ア・ヲ・モリ」の説もあるようで、その意味は、「突き出た丘」を表しています。細かく意味を表すと、ア(海)ヲ(獣)モリ(牙)となっており、青森県の地形が、そのあらわしている意味に似ているという説もあるようです。
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青森市歴史民俗展示館「稽古館」 |
| 住所: |
〒030-0843
青森市大字浜田字玉川207-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
017-739-6422 |
| 開館時間: |
9:00〜16:30 |
| 休館日: |
毎週木曜日、月末、(土・日曜日、祝日にあたる場合はその前日)、12月28日〜1月4日 |
| 入館料: |
無料 |
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